身体性を伴った恋愛テクニックの重要性について その2

これほどまでに身体性を伴ったテクニックの重要性を問うたとしても、恋愛理論といったものが重視されるのは、ひとえにそう言った類のテクニックは手軽だからである。

 

人間という動物は、何かを手に入れたいと思った時、なるべく手間のかからない方法を選択しようとする傾向がある。この考え方自体は悪くないのだが、時に行き過ぎてしまい、自分が行動して知識を得ようとする意欲を削いでしまう。恋愛理論なるものは、インターネットや本などで手軽に学ぶ事ができ、さらにそれらを吸収した後は、あたかも自分が意中の人と結ばれるための切符を手にしたかのような高揚感が得れれる。まるで自己啓発本を読んだうだつの上がらないサラリーマンが、仕事を完璧にこなす事ができる感覚を得るかのように。

 

しかしながら、「身体性を伴ったテクニックの重要性について その1」で扱ったように、恋愛のような不確実性が入り乱れる分野で完璧な理論を構築するのは不可能に近いため、学んだ知識には実際の使用時に綻びが生じる。それを感じ取った当の本人にできることは、恋愛理論に責任を求める、もしくは意中の人を不振な人物として扱うかのどちらかになる事が多い。

 

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これを防ぐには、そもそもこの世に跋扈する恋愛テクニックの9割はパチモンであると気づく事が求められる。そんな汎用性の高い知識が恋愛界において存在するのか、そこを疑う必要がある 。

 

万人向けの書物は常に悪臭を放つ書物である。 フリードリヒ・ニーチェ

 

以上のことを考えれば、私たちに足りないものは知識ではなく、以下のような能力である事が明らかになる。

  1. 実際行動をしようとする気概
  2. 行動して得た知識をテクニックに落とし込む知恵
  3. 行動を続けることのできるメンタルケア
  4. テクニックの有効性を検証できる能力
  5. テクニックを修正する能力

 具体的に1つ1つ見ていこう。まず、実際に行動しようとする気概について、これは簡単にいえば勇気の問題である。失敗を恐れず、果敢に挑戦しようという勇気があれば、テクニックの元となる「素材」を得る事ができる。

 

そして、前述の素材をうまく活用するために必要なのが、「行動して得た知識をテクニックに落とし込む知恵」である。これがなければ、経験はただの経験のままであり、決して役に立つものであるとは言えない。この知恵をうまく活用できるものが、他の誰にも得ることのできない自分だけの恋愛テクニックを確立できるのである。

 

メンタルケアは、前述の行動を続けるにあたって、心理的なサポートがなければ継続ができず、一過性の衝動的な行動に陥ってしまうのを防ぐものである。さらに、失敗した際に次の行動にすぐ移せるだけのメンタルを育むことも期待される。

 

検証能力については、いくら自分で作ったテクニックに自信があったとしても、実際に使うと欠陥が生じているとしたら、自分で修正しなければならない。修正するためには当然、その欠陥に気づく必要があるため、この能力が必要とされるのである。

 

そして、上記のように修正すべき点に注目したら、実際に正しい修正を行うのが、この「テクニックを修正する能力」である。

 

私が願うのは、このブログの読者諸君が、以上のことを念頭に、ぜひ自分なりの恋愛理論を組み立てることである。